歎異抄といえば、
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
ということばが有名。
けど、初めて目にする方にはわかりづらいですよね。
私もこの文章だけでは何のことやらって思ったんですが、
その意味を知り、
とても衝撃的な言葉となりました。
最初は、私が記憶している文章からその教えの衝撃を受けました。
私が記憶している文章の全文はこちら。
「末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、
こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、
さらに余のかたへこころをふらず、
一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、
たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。
これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。
かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、
称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ」
無意識に記憶してしまったとはいえ、
よくよく意味を知ってみると、ものすごい内容でした(><)
「たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。」
ですよぉ〜!!!
どんな罪深い人であっても、阿弥陀如来は救うと言っているんですよぉ〜!!!
阿弥陀如来ってすごーーーーーーいw(・O・)w
ということで、
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
とは、
『善人ですら極楽浄土へ行くことができる、
まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか(梅原猛訳)』
ということなんです。
ここで、
「この文章、間違っていない???」
と思う方もおみえになるかもしれません。
「本当は、『悪人なをもて往生をとぐ、いはんや善人をや』ではないか?」と。
唯円は、そのように思われる方がおられることもご存知のようで、
ちゃーんと、『悪人なをもて往生をとぐ、いはんや善人をや』ではなく、
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」であることの理由を記しています。
また、本を読みながら
「う〜ん。残念ながら私には疑わしい気持ちがあるよなぁ」
と思ったりもしたんですが、
唯円も念仏しても強い喜びの心がわいてこないし、
早く極楽浄土へ行きたいと思わないと、親鸞に尋ねたとのこと。
すると親鸞は、自分もそういう疑問を感じていたと言ったそうです。
そして、なぜ皆、疑問を抱くのか、親鸞が答えたことを記しています。
前にも書きましたが、
『歎異抄』は「唯円を通じて語られた親鸞の言葉」ですが、
親鸞の教えをとてもわかりやすく解説してくれていると思います。
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