梅原さんが第五章で、

「平和の世であれば問題にされなかったであろう法然の専修念仏の教えを、流行思想としたのは、おそらく戦乱であっただろう。」

「・・・親鸞の激烈な言葉も、戦乱の語らせる言葉なのである。
 この源平の戦乱の中で、人間は自分の意思を超えて互いに殺しあった。武士ばかりか農民も商人もまた、その戦乱の中では多くの悪を犯したに違いないのである。悪行を犯さなかったら生きてはいけない、という時代であったに違いないのだ。」

と書いてみえます。




私もハッキリ言って、複雑な問題を抱えた現代社会においては、

すべての人間にこの教えが当てはまるとは限らないと思っています。





だからといって、親鸞の教えはもう古いとかっていうのではなく、

生きていく中で、この教えが心の支えになり、力となる状況にも出会うことがあるかもしれません。





梅原さんは、人間のおごりが人類を滅ぼすような「末法の世」だからこそ、

現代社会において「歎異抄」は必要になってくるだろうとおっしゃっています。




私は、不安や緊張を抱えた人にとっても、

親鸞の教えが力になる場合があるのではないかと思っています。

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歎異抄といえば、

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

ということばが有名。




けど、初めて目にする方にはわかりづらいですよね。




私もこの文章だけでは何のことやらって思ったんですが、

その意味を知り、

とても衝撃的な言葉となりました。





最初は、私が記憶している文章からその教えの衝撃を受けました。


私が記憶している文章の全文はこちら。



「末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、

こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、

さらに余のかたへこころをふらず、

一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、

たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。

これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。

かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、

称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ」





無意識に記憶してしまったとはいえ、

よくよく意味を知ってみると、ものすごい内容でした(><)





「たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。」


ですよぉ〜!!!




どんな罪深い人であっても、阿弥陀如来は救うと言っているんですよぉ〜!!!





阿弥陀如来ってすごーーーーーーいw(・O・)w





ということで、

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

とは、

『善人ですら極楽浄土へ行くことができる、

まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか(梅原猛訳)』

ということなんです。




ここで、

「この文章、間違っていない???」

と思う方もおみえになるかもしれません。




「本当は、『悪人なをもて往生をとぐ、いはんや善人をや』ではないか?」と。




唯円は、そのように思われる方がおられることもご存知のようで、

ちゃーんと、『悪人なをもて往生をとぐ、いはんや善人をや』ではなく、

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」であることの理由を記しています。




また、本を読みながら

「う〜ん。残念ながら私には疑わしい気持ちがあるよなぁ」

と思ったりもしたんですが、

唯円も念仏しても強い喜びの心がわいてこないし、

早く極楽浄土へ行きたいと思わないと、親鸞に尋ねたとのこと。

すると親鸞は、自分もそういう疑問を感じていたと言ったそうです。

そして、なぜ皆、疑問を抱くのか、親鸞が答えたことを記しています。




前にも書きましたが、

『歎異抄』は「唯円を通じて語られた親鸞の言葉」ですが、

親鸞の教えをとてもわかりやすく解説してくれていると思います。

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『梅原猛の「歎異抄」入門』は、初心者の私にとって、とても読みやすい本でした。




最初に仏教についての簡単な歴史的な流れが書かれてあり、

そして、法然、親鸞、唯円への流れやそれぞれの関係性などが書かれ、

「歎異抄」の解説へと続いています。




さすが「入門」というタイトルがついているだけに、

仏教に馴染みのない方でもムリなく読める内容になっています。





さて、『歎異抄』とは、

親鸞の教えをその弟子の唯円が書いたものなんですが、

ここからは、梅原猛さんの解説をそのまま引用させていただきます。


「ここで一言するならば、この『歎異抄』の著者は言うまでもなく唯円であって親鸞その人ではない。この書には初めから終わりまで、親鸞というきわめて異常な言行をする宗教家が登場するが、それはあくまで著者たる唯円から見た親鸞の姿であり、唯円を通じて語られた親鸞の言葉である。(16−17頁より引用)」




実際に親鸞が書いた書物とは文章の響きに多少の違いがあるそうなんですが、

「・・・どちらかというと、親鸞自身が筆をとった言葉のほうが重く淀んで、わかりにくいのだ。(17頁より引用)」そうです。




「歎異抄」を読みながら、その教えの意味に疑問が頭に浮かんできたんですが、

唯円は誰もが同じ疑問を持つことがわかっているかのように、

まさにその疑問に対しての説明をしてくれているので、

最後にはクリアになっていきました。

これには驚かされましたよ。

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『歎異抄』を読んでみました。

私でもわかる本がいいと思い、

梅原猛さんが口語訳された『梅原猛の「歎異抄」入門』にしました。




ところで、なぜ、また『歎異抄』を読もうと思ったのか?



数年前にマンダラ展を見に行った時、

阿弥陀如来のポストカードを買ってきました。

仏様のポストカードはいくつか並んでいたんですが、

なぜか阿弥陀如来に親近感を覚えて選びました。



けど、なぜ阿弥陀如来なのか、去年ようやく気づきました。(^^;



父方の宗教が、浄土真宗だったからです。



一応、子どもの頃から、法事やお葬式になると、

「南無阿弥陀仏」と唱えていました。



けど、その意味を考えたことはありませんでした。



それでも、一部分、暗唱できるところもあります。

「末代無知の在家止住の男女たらんともがらは・・・」で始まる文章です。




なぜか口から出てきます。

きっと、子どもの頃から読んでいるからなんでしょうね。




そして、部屋には阿弥陀如来のポストカードを飾ってしまっていることもあり、

読まないわけにはいかないように思えてきたのです。

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